卒業とか気にするな
最近哲学ばっかやっているが、やっぱり面白い反面、どうしてもやりたいこと以外に卒業のためにやらなきゃいけないこともあり、本当にやりたいことに集中できてない。
集中しようよ。
もうほかはどうなってもいいから盲信して猛進しろ。
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みんなもう30過ぎたら周りに興味なくなるよ。
お前がすごいことしてたり苦労してたり、逆にうまくいってたりしてもどうでもいい。
関心は基本的には自分にしかない。
そう、基本的には。
実は、そんな
自己分析、嫌いな奴と、抱きたい女
自己分析してみよう。
自分がどうなのかと分析するより、どういう人が嫌いでどういう人が好きなのかを考えたほうがいい。なぜなら自我というのは幻想的だから。
まず、嫌いなやつ。具体的にいうとあいつだ。Tだ。あいつのことは大っ嫌い。なぜかというと、そいつが俺に悪い態度を取るとか意地悪するとかそういうことではない。むしろおとなしめのやつだ。
おれは毎日のようにこいつを思い出してしまうほど嫌いだが、その理由は意外なことのようだ。それは、そいつが俺に似ているからだ。
不器用だけど、ちょっとモテようとしている。そしてこいつは、たいして努力せず、金でいい地位を取り、物静かに八方美人で何も自分から積極的な仕事をしない。こういう計算高くて、面白くない男が嫌い。
でも、なぜそんな憎い?それは、実はそれが自分に似ているからだ。おれは比較的面白いほうだが、そこまでおもいっきりできなかったり、またリスクを取っているようであまりとっていない。そいつの悪いところは全部自分にも当てはまる。
気さくに人に話しかけ、笑いでつつみこみ、おおらかな人間になりたい。これは誰もが望むことだろう。
これができない度に自己嫌悪するが、それは他人のうちにそれを見ることでも起こる。まさにそのTは俺が気に食わないこと、自分の嫌いなところを体現している。
楽して高いポジションを得ている
それに見合った仕事をしていない
高いポジションのくせにリーダーシップを全く発揮していない
八方美人
全然おもしろくない
そのくせ女好きで、周りに人いるときはいいかっこする
でも一対一だと謙虚
くそだろ。
なんだこいつ。
死ね。
という俺もそんな感じだよ。
もっとでっかくいこうよ。
どーんといこうよ。
抱きたい女?
そりゃ今の彼女だよ。
大好きだよ。
そんなモデルみたいだったり社交的だったり、人脈もってたり、家族が華やかだとか、資産もっているとかどうでもいい。
おれとしかるべきタイミングで出会って気があって付き合ってきた。いろいろ共に経験した。時代も共有した。そんな彼女だ。
国を敵にしちゃだめというのがよく分かる
最近、昔の友だちと会うことが多い。
仲の良い友人と楽しく飲むのはいいが、やっぱり関係性やコミュニケーションが変わっている。もう30だからね。
なんというか、うまくいえないけど、万人の万人に対する戦いの世界が意識された上で、対峙しているという感じがする。
簡単にいえば、「友人だからといって何か変なことが少しでもあれば、私は守るものもあるので、距離置きますよ」という感じだ。あたりまえといえばあたりまえだが、30になってまわりと接するとこれを感じる。
大事なのはこれから。これは、もっと他人になってくるとよりいっそう強くなる傾向だ。30になれば、家族もいるだろうし、世の中に変な奴が多いことはわかってくる。
そういうやつには、情など関係なく、文字通りルールや法律にそって冷徹に対処するのが王道だとみんな分かっている。
佐藤優やホリエモンなど、身内にいくら有力者がいても、国という大きな仕組みには抗えなかった。上が大きな組織で決めたことに個人やその友だちではかなわない。
なんつうか、ルールが明確になって融通が利かなくなっている実感はある。でもその反面、ルールが明確になり行動しやすい。
パンピーは正直つまらないが、これが大半
パンピーを目の前にしてどう思うか。
久々に高校の友人にあったが、完全に生活パターンが決っている。彼らは同じような生活をしていて、同じような趣味を持つ仲間と戯れる。
実際、それで非常にいい生き方だろう。
でも、僕はそういう風に生きてきてない。まあそういうことも実際できる。
人をいじったりいじられたりしながらだべる。それはそれでいいんだけど。
つまんない。
感じたのは、やっぱりもみんなES細胞状態を卒業して自分の道を決めている。それはいいことだがまあスケール小さい。こういうやつは、出る杭を徹底して否定するんだろうな。
給料が低いのはいいが、彼らみたいな生活ではやだ。
やっぱり、こんな頽落ではだめ。
もっと自分で責任を持って強く生きたい。
さて、あと思うことといえば、彼らは、やっぱ大衆だからメディアのニュースとかさっと表面だけみてあまり深いこと理解しない。
ああ、あの貧乏な大統領とかいたよね〜
ああ、なんかいいよね〜
みたいな会話が聞こえたが、表面の一瞬の情報で善し悪しを判断する。
大衆には大衆向けの接し方をしなくてはならぬ。
おれはどう生きるか。
こやつらが世界の大半なのだからまあ一緒に頑張ろう。というかオレも大衆だよ。実際
とつれづれなるままに書いた
表情
表情でうまくコミュニケーションするのって大変だな。
今まで、
うまくできている人は頑張りすぎ、逆にきもい
と思ってたけど、コミュニケーション上大切。
不自然なことはしたくないが、あまりにも暗かったりしょぼい顔はしたらあかん。
まあ内心から自然に出てくりゃいいんだよ。
そろそろ何かに特化しようかな
僕は、いろんなことをやり過ぎている。
スポーツも、ベンチャーも、大企業も、哲学も、科学もいろいろやりたいとおもってどれもそこそこ程度やっている。
でも、こうするとどっかの人間関係にどっぷりはいることができない。そして、楽しさや生き甲斐を感じるのは、徹底してどっかの人間関係に属して一緒に仕事をすることではないか。
なんか最近、そう思ってきた。これまでいろんなことやってたのはまあいいことだったと思うが、そろそろ自分が世界のどの位置で頑張るか決めるときだ。それは別にスケールが小さくなることなんかじゃない。