本音だけ書く用のブログ

本音を徒然なるままに書いていきます。仕事を辞めて東大で哲学をしている30代半ばのおっさんです。目をそらしたくなるような心の奥深くにあるような欲望に真っ直ぐ向き合う。北海道出身。新宿喜久井町で一人暮らし。未婚。

ボトムアップでいこう。意識の原理を見つけよう

おれは今30にして哲学をやるために学校に戻ってきているわけだ。それは社会的にみればかなり思い切った選択。

 

でも、もともとは今やりたいことをするために戻ってきたのだ。だから不安はないはず。

 

だけど、実はやっぱりまだその先に本当にやりたいことがあるのかも。実は哲学は、そのための準備なのだ。

 

哲学をするのは、今後のために自分の世界観をはっきりさせたい。意識の原理をつかもうよ

 

結局、言いたかったのは、哲学をやめろというわけではなく、2,3年後とかすらも心配するな、考えるな、ということ。

 

ボトムアップでいこうよ。今は探求をしよう。

コミュニケーションの本質

おれは人とコミュニケーションするとき、だいたい情報を収集しようとしている。でもこれだと一問一答でコミュニケーションではない。ただの単調な情報のやり取り。だんだん話しているとお互い精神的に疲れてくる。

 

コミュニケーションとは本来、両者の心を通じさせるものだろう。情報交換は人と会話する。

 

情報交換や事実確認は、コミュニケーションではない。

 

自分がどう感じるか、相手がどう感じるかが主題となる相手とのインタラクション、これがコミュニケーションだ

 

それを円滑に行うには言語だけでなく、表情やノンバーバルなスキルも必要だろう。

卒業とか気にするな

最近哲学ばっかやっているが、やっぱり面白い反面、どうしてもやりたいこと以外に卒業のためにやらなきゃいけないこともあり、本当にやりたいことに集中できてない。

 

集中しようよ。

 

もうほかはどうなってもいいから盲信して猛進しろ。

 

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みんなもう30過ぎたら周りに興味なくなるよ。

 

お前がすごいことしてたり苦労してたり、逆にうまくいってたりしてもどうでもいい。

 

関心は基本的には自分にしかない。

 

そう、基本的には。

 

実は、そんな

自己分析、嫌いな奴と、抱きたい女

自己分析してみよう。

 

自分がどうなのかと分析するより、どういう人が嫌いでどういう人が好きなのかを考えたほうがいい。なぜなら自我というのは幻想的だから。

 

まず、嫌いなやつ。具体的にいうとあいつだ。Tだ。あいつのことは大っ嫌い。なぜかというと、そいつが俺に悪い態度を取るとか意地悪するとかそういうことではない。むしろおとなしめのやつだ。

 

おれは毎日のようにこいつを思い出してしまうほど嫌いだが、その理由は意外なことのようだ。それは、そいつが俺に似ているからだ。

 

不器用だけど、ちょっとモテようとしている。そしてこいつは、たいして努力せず、金でいい地位を取り、物静かに八方美人で何も自分から積極的な仕事をしない。こういう計算高くて、面白くない男が嫌い。

 

でも、なぜそんな憎い?それは、実はそれが自分に似ているからだ。おれは比較的面白いほうだが、そこまでおもいっきりできなかったり、またリスクを取っているようであまりとっていない。そいつの悪いところは全部自分にも当てはまる。

 

気さくに人に話しかけ、笑いでつつみこみ、おおらかな人間になりたい。これは誰もが望むことだろう。

 

これができない度に自己嫌悪するが、それは他人のうちにそれを見ることでも起こる。まさにそのTは俺が気に食わないこと、自分の嫌いなところを体現している。

 

楽して高いポジションを得ている

それに見合った仕事をしていない

高いポジションのくせにリーダーシップを全く発揮していない

八方美人

全然おもしろくない

そのくせ女好きで、周りに人いるときはいいかっこする

でも一対一だと謙虚

 

くそだろ。

なんだこいつ。

死ね。

 

という俺もそんな感じだよ。

 

もっとでっかくいこうよ。

 

どーんといこうよ。

 

抱きたい女?

 

そりゃ今の彼女だよ。

大好きだよ。

 

そんなモデルみたいだったり社交的だったり、人脈もってたり、家族が華やかだとか、資産もっているとかどうでもいい。

 

おれとしかるべきタイミングで出会って気があって付き合ってきた。いろいろ共に経験した。時代も共有した。そんな彼女だ。

 

 

 

 

 

 

 

国を敵にしちゃだめというのがよく分かる

最近、昔の友だちと会うことが多い。

 

仲の良い友人と楽しく飲むのはいいが、やっぱり関係性やコミュニケーションが変わっている。もう30だからね。

 

なんというか、うまくいえないけど、万人の万人に対する戦いの世界が意識された上で、対峙しているという感じがする。

 

簡単にいえば、「友人だからといって何か変なことが少しでもあれば、私は守るものもあるので、距離置きますよ」という感じだ。あたりまえといえばあたりまえだが、30になってまわりと接するとこれを感じる。

 

大事なのはこれから。これは、もっと他人になってくるとよりいっそう強くなる傾向だ。30になれば、家族もいるだろうし、世の中に変な奴が多いことはわかってくる。

 

そういうやつには、情など関係なく、文字通りルールや法律にそって冷徹に対処するのが王道だとみんな分かっている。

 

佐藤優ホリエモンなど、身内にいくら有力者がいても、国という大きな仕組みには抗えなかった。上が大きな組織で決めたことに個人やその友だちではかなわない。

 

なんつうか、ルールが明確になって融通が利かなくなっている実感はある。でもその反面、ルールが明確になり行動しやすい。