本音だけ書く用のブログ

本音を徒然なるままに書いていきます。仕事を辞めて東大で哲学をしている30代半ばのおっさんです。目をそらしたくなるような心の奥深くにあるような欲望に真っ直ぐ向き合う。北海道出身。新宿喜久井町で一人暮らし。未婚。

すれ違いの攻防

おれは自分の顔にコンプレックスがある。いや、そこまであるわけではないが、少しある。だから人とすれ違うときに顔を見れれるのが嫌だ。でも何で嫌なんだろうか。あ〜あのひとあんな顔しているのに粋がっちゃってと思われたらムカつくからだろう。まず、何よりも俺は粋がっている。それは認める。おれは自分をトータルとして超かっこいいと思っている。超センスがいい。ファッションも思考も表現もあらゆる分野で飛び抜けていると思っている(でも頭のキレは最近自信ないが)。その中でも一つ悩みがあるとするとこの顔だ。これはまあどうしようもならない。

 

さて、だからまあすれ違い様に顔を見られるのが嫌だ。見られるというか、それって面白い攻防なんだよな。おれが見たときに、相手も見ていれば、そこから帰結するのは「相手はおれが相手をみるよりもコンマ一秒であろうと先におれを見ていた」ということ。逆に、おれが相手を見ていて、その顔はおれを見ていなかったが、ふとこっちを見て目が合う。これは逆におれに非があるパターンだ。

 

これが何度か繰り返されるとどっちが有利か不利か分からなくなってくる。おれは先に見られていた確証を得たら、少し間を置きさっと見る。そこでおれを見ていたらもうツーアウトだ。そこでかなりいらつく。ここで終了の場合、つまりすれ違い完了してしまった場合、ツーアウトだからおれは相手に聞こえるように「ふん」と鼻で一蹴する。なんだあいつ、という感じを是非とも伝えたいのだ。

 

もしもこれがスリーアウトになった場合、すれ違い完了時に、「あぁ↑」と言う。完全に輩である。どんだけ見てんねん、という意味だが、どうとでも取れるように最悪なんかの勘違いともとれるように「ああ」としておく。

 

どうですか?こんなやついたらどう思います?

 

基地外ですよね。僕もそう思います。自意識過剰なんでしょうね。

 

ああ〜早く機械の体がほしい〜

 

ってなんだっけ

勝手にレッテル貼ってるくる宮下

宮下という女が昔いた。

 

カバみたいブスだったので心の中ではヒポポタマスと呼んでいた。

この女は俺の自我を揺さぶってきた。

 

勝手に、おとなしくて真面目で静かないい子というレッテルを貼ってくる。おれはワイルドで豪快な男だと思われたいと先読みしてのこのレッテル。殺したろか?

 

おれは「おれのコト何もしらないくせに勝手な人物像押し付けてくるなよ。何か心に問題でもあるの?何でそんなこというの?」

 

と、あまりキレすぎてかっこ悪くならずとも相手にダメージを与えられる返しをしたろうと思っていたが、これを言う機会はなかった。

 

あと、Nもうざい。死ね。端的に。くそが

ああ

おりゃあ何がしたいんだろうか。

 

いややりたいことはある。

 

街を歩くといい女についつい目がいっちゃう。

セックスしたいし、いちゃつきたい。認められたいのかな。

 

あのへんの世界生きている人って何か前提や生き方が全く違う気がする。もっと感情に素直になって今を生きたい。

 

実際リスクなんてないだろうし。

 

ふあ〜ーーーーーーー

自分の性欲を分析

最近、日本人らしい清楚な感じの娘が好きだ。見るたびにSEXしたいと思う。付き合いたいとも思うが、別に二人っきりでコミュニケーションを楽しむというよりは早く挿入したい。

 

才女っぽい、すらっとした165CM以上の女に目が引かれる。ちゃんとどんな話も真面目に相槌打ちながら聴いてくれるような人。

 

これはどういうことだろう?

 

こういう女にコンプレックスがあるのだろうか。たしかにこういう正統派みたいな女は正統派のクラスの中心男子に持っていかれるのが普通。だからそこに入れなかった自分はそういう女を欲している、というよりそういうクラスの中心にあこがれていたのかもしれない。

 

しかし、実際自分でいうのもなんだが、クラスの中心には自分はいた。そしてよく考えると、僕はほぼ男子校で教育を受けたから主流にいるとかあんま関係ない。よく考えると、男女半々という共同体にほとんどいたことがない。かわいいおんなの友人もいるのだが、毎日など頻繁に顔を合わせる共同体はほとんど男性社会であった。

 

そして、もっと冷静に考えると、別に才女系にかぎらず、普通に可愛ければいいし、155Cmだろうと構わない。アスリート系も好きだし、ギャル系ももっとすき。どないやねん。

 

何かあればすぐにおっぱいにむしゃぶりつきたいのも事実。

 

これはフロイト先生に診断してほしいな。ってか男ならみんなこんなもんだろう。

 

 

 

 

 

えっち

やっぱりいろいろな女とセックスしたい。そして堂々と挑戦したい。だったら結婚はできないよね。あの子の◯んこもあの子の◯んこも舐め回したい。そして、息子を生で挿入し中に入りたい。

 

そうすると、外見磨いてオラオラ系になるしかないのか。

 

う〜ん、どうだろう

日々読書

最近、本ばっかり読んでいる。哲学ばっかりやっていると頭がおかしくなりそうだ。思弁してばかりで何になる?

 

わしらの生は、リアルな体験によって確証を持つ。

 

机上の空論を学んでもなんにも役立たない。

 

早く行動したほうがいいよ。

 

哲学読んで感動するのはオペラと同じで一生懸命何かに取り組んでいる人だけだ

自殺についての考察

私の生は今、ここが持続している。

 

これは過去からずっと続いているし、未来も続いていくだろう。

 

これをもう止めてしまうことができる。自殺だ。

 

死んだらどうなるか。寝ているときと同じ状態になる?夢を見ていないときの寝ているときと同じか。要するに、無。

 

死ぬのは怖い。愛する家族や友人が悲しみ迷惑がかかるというのもあるが、死んでしまったらそれを悼むこともできないからそこはないものとして扱うことができる。

 

怖いのは、痛みだ。物理的な。溺死とか絶対やだし。首吊りもだめ。飛び降りも怖い。仮に苦しむのが5秒だとしても怖い。だってそういわれても本当に5秒か分からないもん。

 

私は今は自殺願望はないし、これまでもなかった。でも未来はあるかも。というか、まず自殺する動機がない。

 

自殺する人はこう考えるかもしれない。サラリーマン生活が苦しい。毎日毎日苦しみしかない。ー1が毎日毎日続く。一年でー365のマイナスポイント。

 

死ぬときの痛みなどのコストは1000だとして、それとの比較で自殺を選ぶのだ。

 

でもまあ私たちは生物なのだ。生きる物だから。基本的にはとっても異常事態にならないと自らを殺すことはないだろう。

 

寝るように死ねる薬があるなら、コストは10とかになって、多くの人がちょっと辛いだけで自殺しちゃうかもな。