大衆が実は真善美の体現
今日は海外から帰ってきたので役所にいっていろいろやってきた。
役所は職場と窓口が一体で、丸見えなのでその職場の雰囲気がよくわかる。みんな地味でおとなしそうなひとばかり。
年金の窓口で何を言っているかわからない老年の方々、無駄に気を使いすぎるナイーブそうな若者たち、見ていておもしろかった。
僕は正直、世界を変えてやろうくらいの意志を持った人間なので、こういう一般中の一般人とは全く価値観が違う。別にどっちがいいとか悪いとかはない。
ただ、いろいろな本を読み、いろいろな人と接し、いろいろな世界を見ている僕は、ありふれたことでは満足できなくなっていてこういう嗜好を持っているのだろう。大衆たちは違う。
今日見たああいう人たちは普段何を考え何をしているのか。実際、アウトライヤーは僕のほうだ。あっちのほうが普通。月々20万円くらいをみんな一様にもらって地道に生きているのだろう。環境を変えたり、付き合う人も限られ、変化のほとんどない生活を送っているのだろう。
でもこういう人たちに対してビジネスでサービスするとなると、大変だな。
まず第一に、僕が面白いと思うサービスを追求できない。例えば僕は西洋史とか古典を学べるサービスがあればいいなと思うが、そんな需要は少ない。では、それを一部の人に高付加価値のサービスとして提供してもいいではないか、といわれればそれはそうだ。
やっぱり、やるならでっかくやりたいのだ。そうなると結局マスを相手にしなきゃだめ。ビッグデータでサービス作ると結局マス向けになる。
つっっても、別にマスが馬鹿なわけじゃない。僕なんかより真っ向から世界を見ているかもしれない。マスに受けいられるものほど真善美をもっとも突いているのかも。