自己分析、嫌いな奴と、抱きたい女
自己分析してみよう。
自分がどうなのかと分析するより、どういう人が嫌いでどういう人が好きなのかを考えたほうがいい。なぜなら自我というのは幻想的だから。
まず、嫌いなやつ。具体的にいうとあいつだ。Tだ。あいつのことは大っ嫌い。なぜかというと、そいつが俺に悪い態度を取るとか意地悪するとかそういうことではない。むしろおとなしめのやつだ。
おれは毎日のようにこいつを思い出してしまうほど嫌いだが、その理由は意外なことのようだ。それは、そいつが俺に似ているからだ。
不器用だけど、ちょっとモテようとしている。そしてこいつは、たいして努力せず、金でいい地位を取り、物静かに八方美人で何も自分から積極的な仕事をしない。こういう計算高くて、面白くない男が嫌い。
でも、なぜそんな憎い?それは、実はそれが自分に似ているからだ。おれは比較的面白いほうだが、そこまでおもいっきりできなかったり、またリスクを取っているようであまりとっていない。そいつの悪いところは全部自分にも当てはまる。
気さくに人に話しかけ、笑いでつつみこみ、おおらかな人間になりたい。これは誰もが望むことだろう。
これができない度に自己嫌悪するが、それは他人のうちにそれを見ることでも起こる。まさにそのTは俺が気に食わないこと、自分の嫌いなところを体現している。
楽して高いポジションを得ている
それに見合った仕事をしていない
高いポジションのくせにリーダーシップを全く発揮していない
八方美人
全然おもしろくない
そのくせ女好きで、周りに人いるときはいいかっこする
でも一対一だと謙虚
くそだろ。
なんだこいつ。
死ね。
という俺もそんな感じだよ。
もっとでっかくいこうよ。
どーんといこうよ。
抱きたい女?
そりゃ今の彼女だよ。
大好きだよ。
そんなモデルみたいだったり社交的だったり、人脈もってたり、家族が華やかだとか、資産もっているとかどうでもいい。
おれとしかるべきタイミングで出会って気があって付き合ってきた。いろいろ共に経験した。時代も共有した。そんな彼女だ。
国を敵にしちゃだめというのがよく分かる
最近、昔の友だちと会うことが多い。
仲の良い友人と楽しく飲むのはいいが、やっぱり関係性やコミュニケーションが変わっている。もう30だからね。
なんというか、うまくいえないけど、万人の万人に対する戦いの世界が意識された上で、対峙しているという感じがする。
簡単にいえば、「友人だからといって何か変なことが少しでもあれば、私は守るものもあるので、距離置きますよ」という感じだ。あたりまえといえばあたりまえだが、30になってまわりと接するとこれを感じる。
大事なのはこれから。これは、もっと他人になってくるとよりいっそう強くなる傾向だ。30になれば、家族もいるだろうし、世の中に変な奴が多いことはわかってくる。
そういうやつには、情など関係なく、文字通りルールや法律にそって冷徹に対処するのが王道だとみんな分かっている。
佐藤優やホリエモンなど、身内にいくら有力者がいても、国という大きな仕組みには抗えなかった。上が大きな組織で決めたことに個人やその友だちではかなわない。
なんつうか、ルールが明確になって融通が利かなくなっている実感はある。でもその反面、ルールが明確になり行動しやすい。
パンピーは正直つまらないが、これが大半
パンピーを目の前にしてどう思うか。
久々に高校の友人にあったが、完全に生活パターンが決っている。彼らは同じような生活をしていて、同じような趣味を持つ仲間と戯れる。
実際、それで非常にいい生き方だろう。
でも、僕はそういう風に生きてきてない。まあそういうことも実際できる。
人をいじったりいじられたりしながらだべる。それはそれでいいんだけど。
つまんない。
感じたのは、やっぱりもみんなES細胞状態を卒業して自分の道を決めている。それはいいことだがまあスケール小さい。こういうやつは、出る杭を徹底して否定するんだろうな。
給料が低いのはいいが、彼らみたいな生活ではやだ。
やっぱり、こんな頽落ではだめ。
もっと自分で責任を持って強く生きたい。
さて、あと思うことといえば、彼らは、やっぱ大衆だからメディアのニュースとかさっと表面だけみてあまり深いこと理解しない。
ああ、あの貧乏な大統領とかいたよね〜
ああ、なんかいいよね〜
みたいな会話が聞こえたが、表面の一瞬の情報で善し悪しを判断する。
大衆には大衆向けの接し方をしなくてはならぬ。
おれはどう生きるか。
こやつらが世界の大半なのだからまあ一緒に頑張ろう。というかオレも大衆だよ。実際
とつれづれなるままに書いた
表情
表情でうまくコミュニケーションするのって大変だな。
今まで、
うまくできている人は頑張りすぎ、逆にきもい
と思ってたけど、コミュニケーション上大切。
不自然なことはしたくないが、あまりにも暗かったりしょぼい顔はしたらあかん。
まあ内心から自然に出てくりゃいいんだよ。
そろそろ何かに特化しようかな
僕は、いろんなことをやり過ぎている。
スポーツも、ベンチャーも、大企業も、哲学も、科学もいろいろやりたいとおもってどれもそこそこ程度やっている。
でも、こうするとどっかの人間関係にどっぷりはいることができない。そして、楽しさや生き甲斐を感じるのは、徹底してどっかの人間関係に属して一緒に仕事をすることではないか。
なんか最近、そう思ってきた。これまでいろんなことやってたのはまあいいことだったと思うが、そろそろ自分が世界のどの位置で頑張るか決めるときだ。それは別にスケールが小さくなることなんかじゃない。
不労で生きていけるようになったらどうするか
まずは、毎日ランチや昼に働いている友人に会って話を聞くだろう。今どういう仕事や取り組みをしているか、抱えている問題は、目標は何か、挑戦したいこと、嫌なこと、楽しいこと、生き甲斐など。
それに紹介とかもしてもらえば、毎日のように会う人間はいるだろう。
1日3000円ランチか飲み台として、1ヶ月10万あればいける。まあ一回でどんと飲む場合もあるかもだが。
これをちょっとやると、おそらく社会に何か影響を与えたり、チームで何かに一緒に取り組むことを求めるようになるだろう。
やっぱり自分で何かやらないと飽きてくるはず。
そのときに何をするか?
ちょっとしたニーズを突くようなサービスを作るのは嫌だし、国際関係についてどうこういうのはマクロ過ぎて実感が無い。総合商社やグローバル企業で力を発揮するのも面白いがちょっと現実味ない。。
そうするとやっぱり自分で本気で面白いと思えるサービスがいい。主観的に面白いでなきゃだめだ。社会にこういうのが必要、という発想だと人間の主観ベースで練られてないので面白いものはできないだろう。(偶然できる可能性はあるけど)
やっぱり自分がこれは面白い、というのを作らないとだめだ。
で、おれは何を面白いとおもうわけ?
過去に何が面白かった?
友人といいレストランで飯食って飲むこと
彼女や家族と過ごして無条件の愛を感じる
スポーツで汗を流す 試合に勝つ
心の底の悩みを書き出す
人前で発表したりして共感を得る
チームに所属し結果を出し認めてもらう
まあ、こういうところが幸せということかな
じゃあ、そういうもの作るか
正直、コンテンツ創作はどうかと思う。
コンテンツって人間的すぎて、かなり思考が必要だ、根源的な意味や価値の発生現場から遠くなっている。
まあ、根源的なものが見えるようにするのでもいいけど。
最近気づいたがオレはただ活躍してチヤホヤされたいだけじゃないか。欲望。
街で見る可愛い子。モデルみたい。
あんな明るい感じで可愛い子付き合ったことないな。
おれはいままでチャレンジしてない。
なあなあな感じで、自分がちょっと頑張って相手できるくらいの娘しか狙ってなかった。小さな人間。
じゃあ、今の彼女はなんなの?
適当に「いないと不便だし、かっこつかないし、精神も安定しない」から、ただその穴埋めで付き合っているのか。
だとしたら彼女が可愛そうじゃないか?
結婚を考えている?
もう少しして、もっといい子がいなかったら結婚するって?そんなのあり?
そんな適当な考えに振り回される彼女はどうなる。
男がそんなんでいいのか。
今、哲学とかやってるけど、これってただ性欲や名誉欲とかそういうの満たされてないからやってるだけなのか。
僕は何でもない話をするのが苦手だ。雑談力というのかな。人生の一番楽しむべきそういう何でもない人との交わり、そういうのが楽しめない。だから、その根底が全ての悪循環の始まりになっているのではないか?
いや、でもそれはちょっと悲観的すぎ。
友だちは多いし、結構楽しめている。でも、そうだな、たしかに異性とか年下とかは、苦手意識あるなあ。適当なことをいって適当な人を演じてその場は明るい感じにはできるが、そんな適当な人間には思われたくないし。
まあ、結局。いっぱい恋愛して、できればいろいろ種まいて、自己保存したいんだろうな。
どんどん一般人とかけ離れていくことが不安。
いや、みんなもそんなもんだろ、つか。
まあ、性欲だけじゃないけどね。
何がしたいんだろう、仮に今一番気になる女をゲットして、いい仕事もあれば、あとは何する?
毎日仕事に精を出し、よい家庭を築き、セックスに励む。
まあ、たしかにそれだけあれば満足か。。。
そうなったらもっと別の女とか、社会的な影響力を持ちたくなるんか。
果てしないねえ。
欲望は。